居酒屋のお通し、今と昔

今のバーではピーナッツとプレッツェルがお通しには当たり前かもしれませんが、 1800年代には、当然のように違うスナックが共されていました。そう、固ゆで卵です。

ポイントは、飲酒のその後、常連客がだらしなく酔わないようにとカクテルに対抗するために、いくつか腹もちの良いものを提供することでしたが、卵は、より多くの飲み物を注文するのに十分に人々の、のどを渇かしていることにもありました。

「バーの固ゆで卵は、私たちの対抗馬をもたない、絶対的な条件でした」とニューヨークレストランオーナーは言います。バーの開店時には出来立ての固ゆで卵を復活させたかったのですが、保健省の指導が入り見送ることになりました。

ヨーロピアンたちはバーで固ゆで卵を食べるときには塩とマスタードをたっぷりつけていました。卵を割り、転がしながら丁寧に殻剥き、食す。そこに残るものはナプキンと殻だけになりますからお皿を洗う必要もありません。

しかしバーテンダー達は、この卵のサービスをいつしか止めてしまいました。なぜなら、バーの食事に影響が出るからです。人によっては無料の食事にありつく考えもあります。

1860年代にニューオーリンズで始まった記録ではバーにはフリーランチの伝統がありました。固ゆで卵は揺るぎない地位を築き、客達を1時間か2時間そこに滞在させることができます。その後、ドイツ人がビールを持ち込んできたため、アメリカでもピクルスが流行し始めました。ラガーとピクルスという相性に感動し、その位置付けによって固ゆで卵が後退します。1924年にカリフォルニア州のロングビーチで設立された居酒屋が新しいお通しを流行らせます。

卵は庶民的、ブルーカラーのお通しと言われるようになってしまいました。